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映画『惡の華』 原作ファンが感じる戸惑いと安心感?

2020年02月05日
映画・ドラマ 非ネタバレレビュー 0
惡の華
さっさと来いよ、デジタル配信。

待ち遠しかった一般配信が4日に始まった。
昨年、映画館で見ようと思っていたけど時既に遅く、富山かどっかでしかやってなくて惜しくも見逃しただけに今日までの期間はあまりに長く感じた。

というのも筆者は原作ファン。Amazonでポイントが貯まっていて評判良いからと第1巻から読んでみたら次が読みたいとどんどん進んでいった。気がついたらポイントの分を超過していて課金されていたほどで、わずか2日で全11巻を読破してしまう。

初めて読んだ時の衝撃が今でも忘れられない。
心の奥底にある何かが引きずり出されて引っ掻き回されているような感じがしたのだ。
そんなすごい漫画作品『惡の華』が映画化されると聞いたら、絶対に観なければならないが、見逃しするとは痛恨の極み。おせーよズダ袋。

そんなバカな原作ファン筆者がやっとのことで観られた映画版『惡の華』。被っている皮を自分で剥いて全部書く。

(画像は映画『惡の華』より引用)



原作に忠実部分多い 読者が作った映画



大体は原作に忠実で明らかに“読者が作った映画”。ブルマ強制装着、佐伯さんとのデート、深夜の教室墨汁ぶちまけ大暴れ、自転車で逃避、秘密基地、河原の事件、夏祭り(八木節)などはオリジナルな脚色ほとんどなしでやっている。だから細部にこだわるめんどくさい原作ファンもとりあえずは安心だ。生身の春日くんと仲村さん、佐伯さんに会えるぞ。

基本的には原作における夏祭りの前を回想するのがメインで夏祭りの後はだいぶ端折って進む。常盤さんのキャラ設定変更が本当に惜しい。

駆け足展開に戸惑う


関係性の描写が足りない


序盤の春日くん(伊藤健太郎)と仲村さん(玉城ティナ)の関係性の描写が甘く、春日くんと仲村さんの独特な関係性の機微と段階が伝わりづらい。

これでは仲村さんは“ただの”危ない人に映りかねないのだ。

ブルマ強制装着みたいな強烈な展開もあるけども悪魔の誘いのように少しずつ少しずつ春日くんの心の中に入ってくるわけだし、春日くんもまた仲村さんの心境を徐々に感じ取れるようになってくるのだが。

河原で仲村さんのつかみどころのない話を聞く原作の描写(第1巻第4話)は仲村さんという人物を理解する上で重要なエピソードだと思うだけに入れてほしかったなあ。

佐伯さんが壊れる過程


佐伯さん(秋田汐梨)との関係もそう。佐伯さん自身が徐々に壊れていく過程、優等生から勘違い女に陥っていく様子を描くことにこそ意味があると思うんだ。深夜の遊園地(原作では峠)から秘密基地の事件までが佐伯さん的には近道すぎるのがちょっとなあ。嫉妬から執着心、そして暴走へ至る過程が映像的に見えないんだな。いきなり勘違い女になっていて。

キャラの微妙な心理の変化を追うのが一つの醍醐味でもある原作だけにもったいない気がするんだ。

この長編を一本の映画に詰め込むのは難しかったのだろうが、“超高速駆け足展開”には戸惑う。エピソードの順序入れ替えや省略、近道がかなりある。いわばツギハギ。
山と谷でいえば山の部分の出来事がどんどんやってくる感じ。

こんなんで原作非読者にわかってもらえるか心配だ。

ただ、ツギハギの辻褄あわせには丁寧さを感じる。井口監督が原作ファンなのは本当だろう。


健太郎の「中学生」は?


観る前に思った心配事。それは春日くんを演じる伊藤健太郎が14歳に見えるか?

「今日から俺は中2だ!」といってもやはり身体はでかい。

だが、今のこの年齢の主役級俳優では珍しいかもしれないほど童貞役がやたら多い持ち前の青臭い雰囲気も相まって春日くんの暗さ、憂鬱、ストレートさ、それから思春期の暴走を表現しきっていた。

将来もっと伸びるだろうからあまり褒めないでおこう。


秋田汐梨が演じる佐伯さんがすごい



佐伯さんを演じる秋田汐梨がすばらしい。撮影当時16歳。序盤の優等生と壊れてからの勘違い女の演じ分けがちゃんとできている。

ブルマ、スク水、胸の谷間もどんと来い。この年齢だと再現不可能じゃないのかと思えた秘密基地での性行為シーンまで、さすがに出血描写はなかったけど、遠慮なく佐伯奈々子そのものを体現してた。いや漫画より本物というか。

いやこんな10代半ばの女優がいたとは驚きだ。
だからこそ、エピソードの近道が惜しい。

漫画を超えた玉城ティナの仲村さん


仲村さんを演じる玉城ティナ。小悪魔な時と粗暴な時との切り替え、極限状態まで。目が血走ったり、再現も良いだけでなく、春日くんにブルマを強引に履かせるシーンなんかはその行為自体のリアリティはとりあえず脇に置くとして、“女王様”の妖しさ、艶かしさ、色気がむせ返りそうなくらいダイレクトに伝わってくる。漫画を超えたな。

インタビューで本作は一見極端な内容だけど誰しも思春期を思い出せばどこかに引っかかる部分があるはずみたいなことを言っていた。そうなんだよ、ティナ。「統合失調症だ」みたいな的外れな仲村さん評も見かけるが、よくわかって仲村さんを演じているんだなという点で安心していた。

欲を言えばもっと春日くんを本気で殴るシーンが見たかったなあ。

青春映画的なまとめ方に納得いかない


主人公の成長が描かれないといけない


激しい過去を背負った後半主人公が激しい過去を直視してどう乗り越えるのか。
単に思い出すだけではなく、人間として成長が描かれないといけない。

「自分は他人と違う」という中二病な態度から「自分って一体何者なんだ」の苦悩を経て本当の自分へ。

そこで常盤さん(飯豊まりえ)という存在が重要になってくる。

常盤さんは“表面リア充”で周りに合わせていたけど本当は違う。隠れ芸術家の卵だった。出会いを通して後半主人公の壮絶な過去を知ったとき、現実の厳しさみたいなものを思い知らされ、自分で自分をぶち壊す。この態度が後につながるわけだ。

どちらも本当の自分に向き合い、自分で自分を終わらす。その先の生き方を見据えた決意というか人間として一皮剥けた故のまっすぐで純粋な「のりかえ愛」。
こうした互いの人格形成に深い影響与え合うような関係があった上での「銚子の海」のシーンなわけだよ。原作では。

そうした経緯があって初めて成り立つカタルシスなのだから、そこだけ持ってきても感情移入できなくて見た目だけで「あー若者って(青春って)こうだよね」と薄っぺらい受け取り方をされかねない。

オリジナルの銚子電気鉄道のシーンで締めることによってソフトタッチな青春映画にまとめちゃってる。きれいだけどさ、切ないテーマ曲はその画には合っているけどさ、この作品はそっちじゃないだろう。

尺の問題はわかるけどテーマ性が損なわれかねないから納得いかないのだ。

あと一歩伝わらない



中盤の秘密基地「計画」での春日くん、仲村さんの関係、二人の表情、情景は違うと思うんだな。自転車シーンなんかさわやかカップルみたいだ。原作での春日くんは少し解放感ある表情も確かにあるけどどこか迷いながらのはず。屈託のない笑顔で通させた演出側には不満が残る。仲村さんは尊大な“女王様”として君臨するはずなんだが、なぜかここでは威厳が足りなかった。だから春日くんのドM性が伝わらない。

深夜の教室墨汁ぶちまけ大暴れも“悪い笑顔”で通してほしかった。

それから公園ぶっかけシーンは映像的な迫力がない。ふつーの幸せを打ち砕く唐突感がないと今一歩伝わらない。コーラも違うだろう。公園だから水、誰かが置き忘れたバケツ、水量が多いから体操着が透けるわけですごく意味があるのに。

基本的には重要シーンをちゃんと作っていて、健太郎、ティナもきちんと緩急つけて演じている一方でそういうところが垣間見えるから、回想ベースであることも相まって最終的に「昔は色々あったけど思い出の1ページです」みたいに回収されちゃうんだよね。それでは『惡の華』ではなくなる。もっと重くて暗くて心にズシッとのしかかってくるような質感を期待しちゃダメかな?

痛い思春期だけど愛おしい


渡良瀬川の土手にいる春日くんの見る山に囲まれた町の景色、つまるところ閉塞感はこんな感じなんだなあと映画化することで奥行きが増して伝わってくる。

映像という形で改めて本作を観ることになったけど、あの頃の辛さがわかるだけに本当に春日くんや仲村さん、抱き締めたくなるほど愛おしい。

うっせー、砂野郎が。
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